マチュー・ヴァレ:財務部門で連結財務の担当として採用されたマチューは、デルフィンゲンの新入社員の統合原則に驚きました。「様々な部署で働く10人以上の社員が、私の責任者として選抜され、私の主催でミーティングを開くことになったのです」。自分が働く部署の機能を理解することは重要ですが、会社全体がどのように運営されているかを理解することも不可欠です。「この業界についての知識が不足していたので、ミーティングを通じて、この仕事について多くを学びました」。また、自分の職務が会社全体の中でどのような位置づけにあるのかなどの情報が得られました。「私は、連結データを取り扱う業務にあたるため、例えば購買部の社員と知り会い、購買部の運営方法について学んだことで、データをより良く理解でき、情報を引き出せるようになりました」。
シア・シュー:シアは、学業終了後にデルフィンゲン・フランス拠点に経営管理コントローラーとして採用されました。フランスのアントゥイユで2年ほど過ごした後、中国に戻って暮らすことを決定しました。「当初は、武漢拠点で同じ任務を継続していましたが、1ヶ月後、拠点ダイレクターへの昇進を提案されたのです」。業務運営についての経験がほとんどなかった彼女は、研修を受け、モチベーションと学習意欲の高さにより、任務をやり遂げることができたのです。「2年後、開発戦略により、中国の代表取締役の地位を提示されました。この経営の任務に加えて、私が一番気に入っている財務部門の管理も引き続き行っています」。デルフィンゲンの各国拠点には、若い才能あふれる人材が多数活躍しています。学歴よりも、可能性と学習能力、適応性が常に優先されています。
ザイナブ・メズゲルディ:ザイナブは、モロッコのタンジェ拠点およびカサブランカ拠点の人事責任者として採用されました。「この職務に5年間従事した後、新しい分野への挑戦意欲が湧いてきました」。その時、カサブランカ拠点ダイレクターへの昇進を告げられました。「本当に最高のタイミングでした! 人事部での業務はすべて経験済みで、新しい経験を求めていたのです」。ザイナブのこれまでの学歴や職歴は、100%人事に関連したものであったため、キャリア転換がこのような顛末になるとは想像していませんでした。「業務関連の役職を提案されましたが、私の得意分野ではなかったのです。物事が容易に進んだのは、以前の役職により同僚全体のことを知っていたことです。加えて、各部署のフォローやサポートが得られたため、知識を深め、能力を高めることができたのです」。
エヴァ・ジェルジェロヴァ:エヴァはデルフィンゲン・スロバキア支店の顧客サービス部門で働き始め、流通責任者になりました。その後、彼女はルーマニアの経営チームに入ります。「ルーマニアのアラド拠点の責任者への昇進を告げられた時も、戸惑いはありませんでした。自分の能力を活用し、新しい国の文化や暮らし方を学ぶ良い機会だと思ったのです。2008年に発生した危機にも関わらず、チームの優れた働きにより、1年強でアラド拠点はグループ内でも最も業績の高い拠点となったのです」。ルーマニアで2年半を過ごした後、エヴァは再び新しい課題に挑戦する意欲を持っていました。「フランスに来て、サプライチェーンプロジェクトの責任者になるようにと言われました。私はフランス語が話せないため、容易ではありませんでしたが、適切な環境で語学の習得に没頭し、同僚の協力もあったので、非常に助かりました」。今日、エヴァはヨーロッパ/アフリカ地域の業務ダイレクターを務めています。「この職務により、チームと共に効率良く連携するために非常に重要になる、多文化的な能力を伸ばすことができました」。彼女の職務は多様であるため、毎日が非常に活動的で、様々な相手と交流し、面白いプロジェクトに携わることができます。「私が最も気に入っているのは、部下の能力を開発し、キャリアを伸ばしてあげられることです。企業の成功の中核となっているのは人材なのです」。エヴァにとって、「結果が私の代わりに語ってくれるのです」。
フランソワ・コザノ:フランソワは1998年に入社し、スリーブの前作業を担当をした後、押出作業に従事し、成形の専門家になりました。「その後、別の分野で働きたいと感じて、フォークリフトの運転手に方向転換したのです」。1年半後、社長のベルナール・ストレットからフランソワに、ビル責任者になるようにという提案がなされます。この業務に1年間従事した後、フランソワは製造現場に戻ってきました。「新しい任務では、2年間以上も出張が続き、中国、ブラジル、メキシコなど、各地を飛び回りました。拠点の開設時や、新しい機械の設置時に、生産現場に立ち合い、サポートを提供しました」。現在、フランソワはMIT(製造量産化チーム)の生産技術者を務め、研究室と製造現場の間を行き来しています。また、彼はプロトタイプの管理責任者も務めています。「私の職歴は、デルフィンゲンが機会を提供してくれること、社員が職場で能力を発揮できるような環境であることの良い証拠となっています」。
クレモン・ドゥステシエ:クレモンは2013年に入社し、デルフィンゲン・フランスの保護システムの研究室に入りました。「デルフィンゲン・グループへの入社の決定理由のひとつは、当社が国際的企業であることでした。更に、提案されたポストや職務は興味深いものでした。その後、社内の戦略により、米国ナイヤガラ・フォールズに転勤となり、テキスタイル業務を中心とした研究室の開発に当たることになりました。「フランスのアントゥイユで過ごした1年間は、非常に豊かな経験となりました。プロとして多くを学び、フランスの同僚との良好な関係が結べたことで、今日のチーム作業がスムーズに行えています。更に、デルフィンゲンの企業文化と価値観に真の意味で親しんだことで、アメリカの同僚にもこれを伝えることができています」。クレモンは、国際企業である当社の発展を支えている多数の駐在員の一員となっています。「私たちは世界におけるデルフィンゲンの大使なのです」。
サントシュ・パラメル:「私がデルフィンゲンに入社したのは、外国に行きたかったからなのです」と、フランス拠点に入社したサントシュは当時の野心を語ります。経営陣の了解により、彼は研究室でプロジェクトマネージャーとして1年間働いた後で、ポルトガルに転勤となり、研究室のケーブル部門の責任者となります。「ポルトガルのポルトに2年間勤務した後、フィリピンのセブ拠点での業務を任されました」。自動車産業の危機を脱して、フィリピン、フランス、米国の間のチームでの作業により、セブ拠点が利益を出せるようになるまでに2年間かかりました。「その後、アジア地域の業務ダイレクターの任務にあたることになり、最初はフィリピンを拠点としていました」。デルフィンゲンの東南アジアでの展開が進み、サントシュは次にバンコクで同じ職務に当たります。「地理的な条件として、中心に近い位置に常勤することで、様々な拠点との交流や出張が容易になりました」。この職務で、サントシュは豊かな多文化性に直面し、適応性を求められます。「異なる文化でのやり方の違いを意識していることが、自分自身にとっても、チームでの作業の効率上も不可欠です。私はチームのメンバーと共に働くことを学びますが、彼らにも私と働くことを学んでもらいます。最終的に、違いが皆を豊かにしてくれています」。
タオ・ヤン(ティム):ティムは2011年にデルフィンゲン中国の武漢拠点に入社しました。「6年間で、エンジニアから品質責任者に昇進し、現在はフィリピンのカヴィテ拠点の責任者を務めています。1つの企業内でこれほど出世するとは全く予想していませんでした!」 ティムにとって、一緒に働く同僚を尊重し、良い関係を保つことは、成功に不可欠な要素なのです。「様々な国の出身である同僚とのやり取りにより、多くを学びました。一緒に働くことは非常に豊かで、他にはない経験となりました」。 ティムは、デルフィンゲンが社員の達成した業績を評価し、機会を提供することに感謝しています。「私は家族の一員のように感じています。社員を尊重する企業、社員が進化して才能を発揮できるような企業の一員であることを、非常に誇りに思っています。自分は価値があると感じられることが、仕事に全力投球しようというやる気につながっています」。